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御朱印
ひのやくしの名で親しまれている京都の法界寺では、2種類の御朱印をいただきました。
この他に、御詠歌が1種類いただけるようです。
御朱印料(値段)が1つ300円です。
①『薬師如来』 西国薬師四十九霊場 第三十八番札所
②『阿弥陀如来』
③御詠歌 西国薬師四十九霊場 第三十八番札所
法界寺の歴史
法界寺は「日野薬師」とも呼ばれ、日野という地にある薬師如来をご本尊とするお寺です。
日野という地は、「方丈記」の作者である鴨長明の住んだ地でもあります。そして、親鸞聖人誕生の地としても知られています。
法界寺は、平安中期(1051年)に当時この地を支配していた藤原北家の一流日野家の日野資業(ひのすけなり)が建てたお寺です。
資業は、薬師如来坐像を造り、その中に最澄が造ったと伝わる三寸(小さな)の薬師如来を納めてお堂を建てました。これが、法界寺の始まりです。
その後、平安後期の阿弥陀信仰の高まりと末法思想の広まりにから、法界寺にも阿弥陀堂が建てられ、阿弥陀如来が祀られました。
当時は、日野家の菩提寺として観音堂、五大堂、塔、僧坊などが建てられていましたが、現存しているのは国宝の阿弥陀堂のみとなっています。
平安後期の法界寺には、少なくとも5軀の丈六(大きい)の阿弥陀如来像が存在していたのだとか。
※末法思想とは・・・お釈迦様が亡くなって時が経つにつれて、正しい仏教の教えが廃れてしまい、人々が救われなくなる時代がくるという考え方です。
薬師堂
法界寺の本堂にあたるお堂です。
創建当時のものは焼失してしまったそうです。
現在のものは、明治37年(1904年)奈良県竜田の伝燈寺の本堂を移築したものです。
本堂内には、ご本尊の薬師如来像と脇侍の日光菩薩・月光菩薩、眷属の十二神将が安置されていますが、秘仏・非公開の為見ることはできません。
本堂の中の壁は、びっしりと小さなよだれかけで埋め尽くされています。
ご本尊の薬師如来像はさや仏といって、最澄が造ったと伝わる小さな薬師如来を胎内に納めるために造られた仏像なのです。
お腹の中に小さな仏様がいらっしゃることから、いつしか安産祈願に訪れる人が増えたのだとか。
秘仏 薬師如来坐像
ご本尊は秘仏で、定期的な御開帳はありません。
御開帳の予定はないものの、京都古文化保存協会による「非公開文化財特別公開事業」で特別公開されることがあるようです。
⇒「非公開文化財特別公開事業」のウェブサイト
薬師如来像・日光月光菩薩の三尊が一つのお厨子に納められています。
薬師如来立像は、像高88.8cm、サクラの木の寄木(よせぎ)づくりです。サクラの木は堅い木材なので、仏像造りにはあまり用いられない木材です。胎内仏をお守りする為に堅い木材を選んだのでしょうか。
薬師如来とは、左手に薬壺(おくすりが入っている)を持ったお姿が一般的で(古い時代のものは薬壺を持っていない)、あらゆる病を治すというご利益のある仏様です。
色彩の施されていない白木のお像ですが、衣には繊細で美しい截金細工が施されています。
指先の表現などが柔らかく繊細で、截金の模様の繊細さも相まって高貴な印象を感じました。
別名「乳薬師」(ちちやくし)とも呼ばれるお薬師さんには、こんなお話があるそうです。
その昔、お乳の出が良くない母親がこのお寺に籠って、乳米(ちごめ)というお米をもらい毎日3粒づつお粥に混ぜて炊いて食べ、お乳が出るようにと祈願したのだとか。すると、お乳の出がよくなり、お礼に1升のお米をお納めしたのだそうです。
余談
この秘仏の薬師如来像ですが、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」2017年10月3日(火)に放送された『秋の4時間スペシャル
都の絶景鉄道と仏像めぐり』で、中村芝翫さんが法界寺を訪れた際に、特別にお厨子の扉が開かれました。(お厨子の左側面の扉、薬師如来の左側から拝観するかたち)
国宝 阿弥陀堂
拝観受付を終えると、お寺の方が阿弥陀堂の扉を開けてくださいます。
そして、大変親切にペンライトを使って天井画や阿弥陀様について説明してくださいます。
拝観希望者はそれほど多くないようで、国宝のお堂の国宝の仏像を貸し切り状態でアテンド付きで拝観できるので、仏像好き必見のお寺です。
鎌倉時代に建てられたお堂で、国宝に指定されています。
末法思想により、阿弥陀様の世界である極楽浄土をこの世に具現化することが各地で起こりました。
その代表的な例が、宇治の平等院鳳凰堂です。
法界寺の阿弥陀堂も平等院鳳凰堂ど同じ時期に建てられた典型的な阿弥陀堂です。
堂内には、お堂の中心に須弥壇(一段高くなってるところ)があり阿弥陀如来坐像が安置され、それを取り囲むように四天柱(正方形に配置された4本の柱)が立っています。
天井や柱には、天女や楽器を持った菩薩が亡くなった人を阿弥陀如来と共に迎えに来るその瞬間が描かれ、お堂全体で極楽浄土を表しています。
一見するとよく見えないのですが、お寺の方の説明とともに天井をよく見るとかつては、美しい極彩色で描かれていたことがわかります。
国宝 阿弥陀如来坐像
平安時代の作で、平等院鳳凰堂のご本尊阿弥陀如来坐像に最も近い定朝様式の仏像です。
古くは平等院・法金剛院と共に定朝の三阿弥陀といわれたそうです。(平等院の阿弥陀如来坐像以外は定朝作ではないようです)
ヒノキの寄木(よせぎ)造りで、像高約280cmの丈六仏です。
阿弥陀如来とは、人が命を終えるときに楽器を奏でる菩薩たちと共に迎えにきて、極楽浄土へと導いて下さる仏様です。
両掌を上に向けて重ね、親指の先が触れ合う形にし、人差し指の先も親指の先に触れ合うようにわを作る手のポーズをしています。
これは阿弥陀如来の「来迎印(らいごういん)」の「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」といわれる定印(手のポーズ)です。
おでこの真ん中にある白毫(びゃくごう)が大きめで光輝いています。水晶がはめ込まれているのだそうです。
白毫とは、長~い毛が渦をまいているものでほくろではありません。みんなを救う為に白毫から光を放っているのです。
現在は真言宗ですが、もとは天台宗だったそうで、この阿弥陀如来の周りまわる修行「常行三昧」(念仏を唱えながら90日間休まずまわり続ける)を行っていたのだそうです。
親鸞聖人が幼い頃から拝んでいた仏像のだとか。
ぷっくりとした頬とおちょぼ口のベビーフェイスが特徴的です。ふくよかな顔つきに対して、からだは横から見ると薄くウエストも細む締まっていてギャップがあるなと思った記憶があります。
衣はしなやかで、肌にまとわりつくようなとても薄い素材の質感を感じます。
光背(後ろの飾り板)の透かし彫りには天人があしらわれていて、光背のデザインを壁画のデザインの統一感を感じました。
平等院鳳凰堂の阿弥陀如来や、三千院の阿弥陀三尊など、透かし彫りの舟形光背の金色の阿弥陀如来坐像ってホント大好き!
Googleストリートビューで阿弥陀堂内を拝観
なんと!Googleストリートビューで国宝の阿弥陀堂の中に入って国宝の阿弥陀如来を拝観することができます!!!
⇒法観寺の阿弥陀堂の中をGoogleストリートビューで拝観する
アクセスについて
【公共交通機関でのアクセス】
■JR奈良線「六地蔵駅」から京阪バス「日野薬師」すぐ(便数僅少)
■地下鉄東西線「石田駅」下車、徒歩20分
【駐車場】
有ります。
法界寺の山門を通過してすぐの場所、木々に囲まれた未舗装の駐車場。
収容台数:数台
駐車料金:無料
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