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御朱印
根来寺でいただける御朱印は全部で7種類ほどあります。
■本坊でいただける種類
①『興教大師』 真言宗十八本山 第十七番
②『大日如来』
③『光明殿』
(私が行った時は『光明殿』はありませんでした。)
■不動堂(拝観受付より外)でいただける御朱印
④『身代り不動』 近畿三十六不動尊 第三十四番札所
⑤『身代り不動』 紀伊之国十三仏霊場 第一番札所
⑥『愛染明王』
⑦『文殊菩薩』
御朱印料(値段)はそれぞれ1つ300円です。
根来寺は多くの霊場に入っていますので、御朱印をお願いする際に係りの方に
「なんの霊場ですか?」と確認されました。
私は特に霊場では巡っていないので
「霊場ではないです。こちらとこちらをお願いします。」
といった感じでお願いしました。
根来寺の歴史
根来寺は和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山の寺院です。
根来寺は秀吉の根来攻めによって大塔を残し全山焼失したことが有名で、歴史に詳しい方ならピンと来るはずです。
根来寺は平安時代後期に高野山の僧で空海以来の学僧(天才)といわれた覚鑁(かんぱく)が高野山の中に大伝法院というお堂を建てたことにはじまります。
覚鑁は、高野山全体を統轄する程の高い地位の僧になりました。
当時、衰退していた高野山の信仰を建て直し復興しようとしましたが、
覚鑁の名声があがるにつれ、高野山内の一部の衆徒が反発をした為に、覚鑁一門は高野衆徒との間に不和を生じ、高野山を下りました。
そして、大伝法院の荘園領地内にある末寺・豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移しました。
この豊福寺のあった場所が現在の根来寺のある辺りです。
室町時代後期には、全国から学問を志す僧侶が集まる大寺院として繁栄しました。
鎌倉時代末期の最盛期には寺領72万石、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁しました。
⇒簡単にいうとめちゃくちゃ広い領土とスゴイ数の兵
戦国時代、種子島に伝来したての鉄砲をいち早く装備し、鉄砲隊を作たのも根来衆なのだとか。
ー戦国時代はお寺がすごい軍事力を誇っていたんですよね。ー
織田信長と根来衆は、石山合戦に協力したり仲良くやっていたのですが、
秀吉VS家康・信雄の戦い(小牧・長久手の戦い)や岸和田城襲撃、南摂津侵攻で秀吉に目をつけられてしまったので、秀吉の雑魚攻めにあいます。
根来攻めですね。
戦国時代1585年、根来寺は秀吉の根来攻めをうけ、
大塔などの主要伽藍を残して72万石全てを焼失しました。
焼け残った大塔は国宝に指され、現在も根来寺の境内にて拝観することができます。
江戸時代には、紀州徳川家の外護(権力や財力をもって仏教を保護)によって復興されました。
現在でも境内はとても広く、なんと36万坪(1190082㎡)です!
広い境内には桜の木がたくさんありますので、春には桜がとても美しく咲きます。
桜の名所としても有名ですね。
国宝 大塔
大塔は『大毘盧遮那法界体性塔』を略した通称です。
室町時代後期に建てられ、秀吉による根来攻めの際に焼失せず残ったもので、国宝に指定されています。
高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔です。
常時、内部に入って拝観できます。
内部は、真言密教の教えを立体的に表したものになっていています。
塔内中央に円形の内陣があり、ご本尊の大日如来像を中心に四仏、四菩薩の計9躯の仏像が安置されています。
密教の仏様は個人的にタイプなので、たくさん見られてとてもうれしかったです。
内陣は円形になっているのですが、その円のカーブにキレイに沿った障子があり、もちろん障子はカーブに沿ってスライドします。
その美しい曲線と、建築のデザインについ注目してしまいました。
実は、内陣はうす暗く、正面と背面以外はそのカーブの障子に閉ざされていて四仏、四菩薩様はあまりはっきりとは見えませんでした。
ですが、国宝の塔の中に入れるとは、貴重な体験です。
見落としましたが、塔の基壇部分には秀吉の根来攻めの際についた火縄銃による弾痕が残っているそうです。
ちゃんと看板も出ているのに、見落としました。
大傳法堂
大塔に東側、向かって右手にあるのが本堂にあたるお堂、大傳法堂です。
こちらも常時内部に入っての拝観が可能です。
内部には、ご本尊の「金剛界大日如来坐像」を中心に、
脇侍に「金剛薩埵(こんごうさった)坐像」「尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん )坐像」がお祀りされています。
坐像なのに3mを超えるとっても大きな仏像が3躯もおわすので、堂内に入った瞬間思わず『ぅわぁ~』と言ってしまいました。
スゴイ迫力です!
密教の仏像なので、3躯ともに宝冠をかぶったお姿です。太陽の光が放射状に射しているような光背がとても魅力的でした。
あぁ、この方たちは金剛界の方なのだなぁ。と感じさせる光背です。
この三尊は、室町時代に作られたもので、秀吉による根来攻めの戦禍を免れたのだそうです。
お堂は焼けても仏像は残ったのですね。
大師堂
大師堂は大塔の西側、向かって左手にあるお堂です。
室町時代の初期に建てられたお堂で、根来寺の中で最も古いお堂なのだそうです。
内部の須弥壇とともに重要文化財に指定されています。
内部には、真言密教を開かれた弘法大師空海がお祀りされています。
本坊・光明殿・行者堂
御朱印の受付は本坊内にあります。
本坊の中、名勝庭園、光明殿、行者堂と中を拝観できます。
御朱印を受付でお願いして、拝観している間に書いていただくシステムでした。
本坊の中に、御朱印帳やお守りなどの授与所があります。
奥の院
奥の院は、真義真言宗の宗祖である覚鑁上人のお廟所(お墓)です。
高野山の奥の院と同じく、聖域に入るところに橋が架かっていました。
真夏の暑い日に行ったのですが、不思議なことに聖域に入ったらやはり
空気が変わって少し涼しく、セミの声も少なくなり神聖な雰囲気になりました。
大門
大門は大塔や本坊とは少し離れたところにあります。
大門の付近にもお寺の駐車場がありますので、車で移動されることをお勧めします。
大門は県指定の文化財で、江戸時代の終わりに建てられたものです。
とても大きく迫力があます。
両脇に仁王像、上層に釈迦如来を中心に十六羅漢を安置しています。
上層は公開されていないようです。
門の入り口が3間あり、上層に釈迦像と十六羅漢像とは、臨済宗の三門みたいですね。
不動堂
不動堂は、根来寺の受付より外側にあります。
『身代り不動』『愛染明王』『文殊菩薩』の3種類の御朱印は不動堂の中でいただけます。
お堂の中には、内陣に「大聖不動明王」をご本尊としてお祀りしていますが、お堂の奥の方におわすのであまりよく見えません。
おそらく秘仏なのでお厨子が閉まっているのだと思います。
その他に四大明王もお祀りされているとパンフレットには書かれています。
内陣より手前には、左右に左「愛染明王」右に「文殊菩薩」が安置され、こちらはとても近くで拝めます。
覚鑁上人は密厳院に籠って不動明王をひたすら祈念する修行をされ、ついに不動明王と同体になるという境地に達しました。
この境地はどのような困難にあっても、不動の心によって克服するというものです。
危難にあった折り、一心同体の不動明王が身代わりとなってお守りしてくださるということから、『身代り不動』『きりもみ不動』と呼ばれているそうです。
初会式・夏会式
秘仏 きりもみ不動尊ご開帳
大護摩供大般若転読法要
毎年1月28日(初会式)・ 8月28日(夏会式) に秘仏「きりもみ不動尊」がご開帳されます。
ご開帳時間
■1月28日 5:30~16:00
■8月28日 5:30~16:30
法要時間 午前10時・午後2時
大護摩供大般若転読法要とは、お経のジャバラをバラバラバラッとやるとても見ごたえのある法要です。
不動堂の裏手にある八角形のお堂のさらに裏手に、北向き不動明王様もおわしました。
童子との三尊のスタイルです。
古民家カフェレストラン
「初花」
根来寺の駐車場の向かい側にとっても素敵な古民家カフェレストラン「初花」というお店があります。
岩出市水栖にあった100年以上前の建物を移築し復元した、趣のある建物です。
午前中に施福寺に行って、根来寺に移動してきたらちょうどランチの時間だったので、こちらでいただきました。
根来寺のオフィシャルサイトにも紹介されています。
⇒オフィシャルHP
⇒食べログ
アクセスについて
根来寺は最寄り駅よりバスでのアクセスになるので、自家用車で行かれることをお勧めします。
根来寺の駐車場は、大門の前とメインの拝観場所の前の2か所あります。
下の画像がメインの拝観場所に近い駐車場です。
駐車場は無料で、50台程は停められそうな広さでした。
公共交通機関でのアクセス
電車+バス
■JR和歌山線「和泉砂川駅」下車
⇒和歌山バス那賀「近畿大学経由・岩出駅前」行きに乗車、「根来寺」下車すぐ
■南海線「樽井駅」下車
⇒⇒和歌山バス那賀「近畿大学経由・岩出駅前」行きに乗車、「根来寺」下車すぐ
根来寺の境内をストリートビューで散策できます!!
国宝の大塔も見ることができますよ
⇒ストリートビューで根来寺を散策
■霊場一覧
近畿三十六不動尊霊場 第三十四番札所
紀伊之国十三仏霊場 第一番札所
神仏霊場 巡拝の道 和歌山第九番札所
真言宗十八本山 第十七番札所
■拝観時間
4月~10月 9:10 ~ 16:30
11月~3月 9:10 ~ 16:00
■拝観料 大人500円