広隆寺の御朱印と仏像の見どころ

もくじ
  1. 御朱印
  2. お寺の見どころ紹介
  3. 広隆寺の歴史
  4. 国宝 弥勒菩薩半跏思惟像
    宝冠弥勒
  5. 国宝 弥勒菩薩半跏思惟像
    泣き弥勒
  6. 国宝 不空羂索観音像
  7. 講堂
  8. 国宝 阿弥陀如来坐像
  9. 上宮王院太子殿
  10. 国宝 桂宮院
  11. アクセスについて
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御朱印

京都の太秦にある広隆寺でいただいた御朱印は『弥勒菩薩』の1種類でした。
この他に、聖徳太子御遺跡霊場の御朱印もいただけます。

①『弥勒菩薩』
②『太子楓野別宮』 聖徳太子御遺跡霊場 第二十四番札所

2種類とも筆で書かれたものではなく、黒い文字もハンコ式となっています。
御朱印料(値段)は300円です。
いただける場所は楼門より入ってしばらく石畳を歩いた場所にある参拝受付です。

 

広隆寺御朱印 『弥勒菩薩』

【お寺の見どころ紹介】

広隆寺は東映太秦映画村で有名な京都の太秦にあります。その歴時は古く聖徳太子が建てたと伝わります。
この広隆寺は仏像好きは絶対に訪れるべきお寺です。その理由は
①世界一美しい微笑みの仏像 国宝指定第一号 弥勒菩薩半跏思惟 像(みろくぼさつ・はんか・しいぞう)がおわす
②弥勒菩薩を含む17躯の国宝の仏像がある
③国宝以外の仏像もほとんどが重要文化財である
④国宝、重文の仏像が新霊宝館にて間近で拝観できる
⑤混雑していないのでゆっくりと静かに仏像を拝める
です!!!

広隆寺 楼門

 

広隆寺の歴史

広隆寺は603年推古天皇の時代に創建された京都最古の寺院で、四天王寺、法隆寺と共に聖徳太子が建立した日本七大寺の一つです。古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺と呼ばれていました。
広隆寺の成立については日本書紀に記載があり、こう記されているそうです。

推古天皇11年(603年)に聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ、秦河勝が、この仏像を譲り受け、「蜂岡寺」を建てた。

このご本尊が国宝指定第一号の弥勒菩薩であると伝わっています。

 

新霊宝館の仏像

国宝 弥勒菩薩半跏思惟像
通称:宝冠弥勒

宝冠弥勒(ほうかんみろく)と呼ばれているこの仏像は、頭に宝冠を乗せ、台座に腰掛け、左足を垂らし、右足は左足のひざの上にのせ、右手を頬のあたりに添えて何かを思っているようなお姿をしておられます。
弥勒菩薩とはお釈迦様が入滅(亡くなった)後、五十六億七千万年後にこの世に降りて人々を救うという慈悲深い仏様です。
この宝冠弥勒は飛鳥時代の作と伝わりますが、当時の日本の仏像としては珍しく赤松(アカマツ)の木から彫りだされています。そのことから、この像は、朝鮮半島から伝来したものではないかと考えられています。
56億7千万年後にどのようにして人々を救うかと深い瞑想にふけるその表情はモナ・リザの微笑と並ぶ世界で最も美しい微笑と絶賛されています。
多くの著名な方々が、この弥勒菩薩の美しさについて言葉で表現してますが、その美しさは言葉ではとても表せないので、是非ご自身の目でその美しさを確認してください。

国宝 弥勒菩薩半跏思惟像
通称:泣き弥勒

泣き弥勒(なきみろく)と呼ばれるこの仏像も、宝冠弥勒と同じく片足を下ろして座り、頬に右手を添える思惟のお姿をしています。
飛鳥時代の作で楠(クスノキ)から彫りだされています。楠は朝鮮半島には自生しないため日本で制作された仏像だと推測されています。珍しく綬帯(じゅたい装飾帯)には牛皮が使用されています。
泣き弥勒を呼ばれる理由は、もちろんその表情にあります。大きく切れ長な眼と歯を食いしばっているかのような引き締まった口元が、べそをかいているように見えることから、美しい微笑の宝冠弥勒に対し、こちらは泣き弥勒を呼ばれています。
宝冠弥勒様より、深刻な56億7千万年後を創造されているのでしょうか。

国宝 不空羂索観音像
(ふくうけんじゃくかんのん)

弥勒像と向かい合わせに3躰の大きな仏像が並んでいます。向かって左の仏像です。像高313cmととても大きく迫力があります。

不空羂索観音は、額に3つ目の眼があり8本の腕で様々なものを持ったお姿です。その持ち物の中に羂索といって縄の様なものを持っています。この羂索は、人々が魚を捕まえるように人の心の不安を捕まえ取り払ってくれると言われています。

奈良時代~平安時代初期の作と伝わる古い仏像です。
私は、宝冠弥勒よりも泣き弥勒よりもこの不空羂索観音に魅了されました!その素晴らしくバランスの良いプロポーションと下から見上げた時の大きさに圧倒されました。8本もある腕は全く不自然さがなく、どれも今にも動き出しそうな躍動感があり、裙(くん・巻きスカート)の流れるように滑らかな襞(ひだ)がとても美しく、、、とても心惹かれる仏像です。
光背は木板に色彩を施したタイプで室生寺金堂の仏像群のデザインに似たようなものでした。これも心惹かれるポイントの1つです。
この仏像の前に立った時は、法隆寺の百済観音の前に立った時と同じような感覚でした。この気持ち、わかってくださる方はいますでしょうか。。。

この他にも、国宝千手観音立像(大きい!)やずらりと並んだ国宝十二神将などたくさんの素晴らしい仏像に会えます。しかも間近で、人混みもなく落ち着いて見られます。ベンチも用意されていますのでその場所にずっと座っておられる方などもいらっしゃいました。

 

講堂(赤堂)

楼門を入るとすぐに右手に見えてくるお堂です。扉は閉ざされており、小さな格子窓から中を窺うことができます。
内陣には中央に阿弥陀如来坐像、向かって右に地蔵菩薩坐像、左に虚空蔵菩薩坐像がおわします。
相変わらずですが、お外の光に対してお堂の中はとても暗く、仏様はお堂の奥におわすのでそのお姿はしばらく目を凝らしていてやっと確認できます。中央の阿弥陀如来坐像は何となくみえるのですが、左右の菩薩像はぜんぜんわかりませんでした。

 

国宝 阿弥陀如来坐像

このお像も国宝です。近くで拝観することはできませんがとても素晴らしい仏像です。
弘仁時代の作と伝えられ、かつては金色に輝いていたのかなと思わせるような金箔がところどころ残っています。どっしりと構えたお姿は重厚感があります。下品中生の説法印をしています。(お腹の前で、親指と薬指で輪っかを作ったかたち)

 

上宮王院太子殿

本尊に聖徳太子像を祀るお堂で、このお堂が広隆寺の本堂です。享保15年(1730年)に再建された入母屋造のお堂です。本尊の聖徳太子像は秘仏で、毎年11月22日「御火焚祭」の時み特別公開されています。
この聖徳太子像は平安後期(1120年)の作です。この聖徳太子像は本物の衣服を着ています。この衣服は黄櫨染御袍(こうろぜんごほう)という天皇が御即位や大切な儀式で着用する衣服で、天皇より衣服を賜りこの太子像に着せるという習わしが平安時代から現在まで続いているそうです。

広隆寺 上宮王院太子殿 つつじ

国宝 桂宮院(けいぐういん)本堂

八角の円堂で聖徳太子が楓野別宮を起こされたところと伝わります。現在は広隆寺の奥の院を呼ばれています。
4月・5月・10月・11月の日曜日・祝日のみ公開されています。

広隆寺の拝観は、講堂を少しみてその後ほとんどの時間を新霊法館に費やすといった感じになります。新霊宝館の所要時間は人によって様々なのでなんとも言えませんが1時間もあれば十分なのではないかと思います。

 

アクセスについて

清凉寺は公共交通機関でのアクセスがとても便利です。

【公共交通機関でのアクセス】
■京福電車
⇒『太秦駅』下車すぐ
■京都市バス
⇒『広隆寺前』下車2分

【駐車場】
駐車場があります。
収容台数 50台
参拝者は無料

 

大本山 広隆寺
京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
■霊場
聖徳太子霊跡 第二十四番札所
■拝観時間
3月~11月 9:00~17:00
12月~2月 9:00~16:30
■霊宝館拝観料
大人  700円 (650円)
大学生 700円 (650円)
高校生 500円 (450円)
中学生 400円 (350円)
小人  400円 (350円)
*( )内は30名以上の団体割引

 

【今回の旅のルート】

『広隆寺』『清涼寺』『大覚寺』『天龍寺』『天龍寺塔頭 弘源寺・慈済院』⇒京都泊⇒『六波羅蜜寺』『六道珍皇寺』『八坂の塔法観寺』『安井金毘羅宮』『建仁寺』⇒『南禅寺』⇒『永観堂』のコースです。(マイカーで廻っています)

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2017年7月6日 by gogogosyuinnagither

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