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御朱印
京都山科にある小野小町ゆかりのお寺、髄心院でいただいた御朱印は『曼荼羅殿』の1種類でした。
この他に、真言宗十八本山と京都十三仏霊場の札所となっていますので、全部で3種類の御朱印があるようです。
御朱印やオリジナル御朱印帳の授与所は玄関と呼ばれるお堂の入り口にあります。
御朱印帳を先に預けて、番号札と引き換えに拝観し帰りに御朱印帳を受け取るシステムです。
①『曼荼羅殿』
②『曼荼羅殿』 真言宗十八本山 第十一番
③『阿閦如来』 京都十三仏霊場 第十一番札所(新・平成26年7月より)
限定御朱印
髄心院では2015年頃より春と秋に限定御朱印が授与されているようです。
限定御朱印は、きれいな色の色紙に『曼荼羅殿』と書かれたもので、数量限定・書置きです。
■期間
春季 毎年3月1日~5月7日頃
秋季 毎年11月17日~12月3日頃
※特別公開やライトアップに合わせた期間
限定御朱印や特別公開・ライトアップなどの情報は公式HPのお知らせや公式Twitterで発信されると思います。
公式HP⇒髄心院からのお知らせ
公式Twitter⇒髄心院公式Twitter
随心院の歴史
髄心院は、牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)というお寺の子院(大きなお寺の中にあるお寺や院)として、平安時代の終わり頃に建てられました。
牛皮山曼荼羅寺は、空海より8代目の弟子である仁海(にんがい)という僧侶が建てたお寺です。
仁海はある夜、亡くなった母が牛に生まれ変わっているという夢をみました。夢で見た牛に似ている牛を鳥羽の辺りで見つけ飼い始めましたが、すぐに死んでしまいました。
牛の死を大変悲しんだ仁海は、その牛の皮をはぎ両界曼荼羅を描き、お寺のご本尊としました。
このエピソードより、牛皮山曼荼羅寺という名になったそうです。
仁海は、牛の尾を牛皮山に埋めて菩提を弔ったと伝えられています。
その後、仁海より5代目の増俊(ぞうしゅん)という住職の時代に曼荼羅寺の子房(塔頭)として髄心院が建てられました。さらに2代後の親厳(しんごん)住職の時代には、御堀河天皇の命により門跡寺院となりました。
最盛期には、七堂伽藍(しちどうがらん)を誇っていましたが承久の乱や応仁の乱によって大伽藍はほぼ全てを焼失してしまったそうです。
1599年に本堂が再建され、後に他のお堂も寄進され、現在のお寺の姿になったそうです。
※七堂伽藍(しちどうがらん)・・・お寺を構成する重要な建物、本堂・講堂・経蔵・塔・鐘楼・僧坊・食堂
簡単に言うと大きくて栄えているお寺
小野小町と髄心院
現在髄心院のある地は、古来「小野」と呼ばれていて、小野氏の栄えた場所でした。
小町は小野篁(おののたかむら)の孫で、出羽の国司を勤めた良家の娘でした。(いいとこのお嬢さんでした)
舞姫として中宮に仕えていました。その容姿は、小町が一度微笑めば100人がうっとりすると言われるほど美しかったのだとか。
長らく天皇のお側に仕えていましたが、天皇がお亡くなりになり、三十歳を過ぎた頃からは小野の里に引き籠り、髄心院で余生を送ったと伝えられているそうです。
本堂の仏像
髄心院の本堂では、ご本尊の如意輪観音をはじめとてもたくさんの仏像がおわします。
拝観は常時可能で、拝観場所は本堂の中へ入って拝観できます。
少し距離があり薄暗いですが、如意輪観音像を中心にずらりと一列に並んだ様はとても迫力があります。
ご本尊 如意輪観音菩薩坐像
内陣の中央に安置されているご本尊です。
如意輪観音とは、すべての苦しみから人々を救い、救いを求める願いのすべてを成就させると言われている仏様です。
六本の腕(六臂)があり、右掌を頬にあてて思案する(思惟)ポーズ、右足を立てて両足の裏を合わせて座る(輪王座)ポーズをとっています。
鎌倉時代の作と伝わります。
如意輪観音独特の女性らしい柔らかなポーズは確認できますが、お顔や頭のお飾りなどは堂内の構造上よく見えませんでした。
金剛薩埵坐像 快慶作
ご本尊より向かって右
金剛薩埵(こんごうさった)坐像は造られた数の少ない仏像ですが、密教において重要な仏様です。
金剛界曼荼羅の中にいらっしゃるのだとか。
髄心院の金剛薩埵坐像は快慶作です。
像内の背中の部分に「巧匠法眼快慶」と朱書きされているのが確認されています。
鎌倉時代の作で、ヒノキの割矧造り(わりはぎづくり)で玉眼(水晶の眼玉)が入っていないのが特徴です。
切れ長のシュッとした目つきが快慶の特徴です。
いつものイケメン仏像より少しふっくらしていて、鼻やこめかみがゴツイ気がします。体は華奢な感じで細い腕がしなやかに五鈷杵(ごこしょ)と五鈷鈴(ごこりん)を持っています。
この仏像は、快慶自らは鑿(ノミ)を振るわず、弟子を指導して彫らせた仏像という意見もあるのだとか。
快慶最晩年の作と伝わる仏像です。
阿弥陀如来坐像
ご本尊向かって左
平安時代作の阿弥陀如来坐像がおわします。
この他に、
ご本尊から向かって2つ右に薬師如来坐像
ご本尊から向かって2つ左に不動明王像
本堂右手の部屋には釈迦三尊像が安置されています。
この釈迦三尊像、文殊菩薩は獅子に乗り、普賢菩薩は象に乗っています。
境内の見どころ
境内には小野小町に縁のあるものや、門跡寺院らしい美しい襖絵などの見どころがあります。
薬医門・玄関・書院
いずれも江戸時代の初めに造られた九条家ゆかりの天真院尼によって寄贈されたものです。
この玄関にて、拝観受付や御朱印受付、オリジナル御朱印帳などの授与品があります。
玄関の左右に小玄関という空間があり、ここには狩野永納の時代の「花鳥山水の図」「四愛の図」が描かれた襖絵があります。
奥書院
江戸時代に造られた建物で、狩野派の筆による「舞楽の図」「節会響宴の図」「賢聖の障子」「虎の図」があります。
小野小町歌碑
玄関の手前には、小倉百人一首の小野小町の歌
「花のいろは うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに」
が刻まれた歌碑があります。
その隣には、蓮弁祈願(れんべんきがん)というお願い事をするパワースポットがあります。
何やら、お願い事をしながら蓮の花びらを水瓶に浮かべると
花びらが溶けて祈願になるのだとか。
化粧井戸
小野小町の屋敷跡に残る井戸です。
小町が朝夕このお水でお化粧をしたのだとか。
さぞかし美人になるお水なはずですが、落ち葉がたくさんはいっていて、お水はうっすら水たまり程度にあって・・・
美人にあやかれる雰囲気はなかったです。
現在は水はなく、石組だけが残っているとのこと。
小町梅園
髄心院の境内には小町梅園という名のエリアがあります。
梅の木が約230本植えられているのだそうです。
梅の見ごろは3月中旬で、この時期にのみ特別開園します。
■期間:3月1日~31日公開(入園料400円)
この時期から春の限定御朱印が授与されます。
梅の見ごろ以外は入ることはできません。
紅葉とライトアップ
■拝観時間 18:00~20:30(受付終了)
髄心院では紅葉のライトアップが行われ、期間中は夜間拝観が行われます。
紅葉の見ごろは11月中旬から12月初旬です。
同時期に限定御朱印の授与もあります。
アクセスについて
【公共交通機関でのアクセス】
■JR東海道線と地下鉄東西線
『京都駅』よりJR東海道線→『山科駅』より地下鉄東西線→『小野駅』下車、徒歩5分
【駐車場】
有ります。無料
【今回の旅のルート】
『醍醐寺』⇒『随心院』⇒『勧修寺』⇒『法界寺』と廻りました。(マイカーで廻っています)