- 御朱印
- 願興寺の歴史
- 願興寺の仏像と拝観について
- 秘仏 薬師瑠璃光如来坐像
- 日光菩薩・月光菩薩
- 十二神将
- 四天王像
- 釈迦三尊像
- 運慶作 阿弥陀如来坐像
- 阿弥陀如来立像
- 境内の様子
- 本堂に貼ってあった資料
- 本堂 平成の大修理
- アクセスについて
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御朱印
岐阜県可児群御嵩町にある蟹薬師の名で親しまれている願興寺でいただいた御朱印は『蟹薬師如来』の1種類でした。
拝観者の多い日に行ったので、書置きでしたが通常は御朱印帳に書いていただけます。
御朱印料(値段)は1つ300円です。
薬師如来を表す梵字の下に、お寺の紋である蟹牡丹の朱印が押されています。牡丹の花で蟹をデザインした紋はとても素敵です。
この紋、京都の蟹満寺の紋ととっても似ていますが、お寺同士に関係はなく願興寺オリジナルの紋なのだそうです。
願興寺の歴史
願興寺は岐阜県可児群御嵩町にある天台宗のお寺です。
可児大寺(かにだいじ)、蟹薬師(かにやくし)と呼ばれています。
願興寺にはとても貴重な仏像がたくさんあり、ほぼ貸し切りの状態で近くでじっくりと見られる、仏像好きには大変うれしいお寺です。
願興寺の創建は平安時代(815年)、伝教大師最澄が東国巡錫の折この地を訪れ、布施屋(旅人の宿泊施設)を建て自ら薬師如来像を彫り安置したのが始まりと伝えられています。
最澄が布施屋を建てる以前も、白鳳時代よりこの地に小さな庵として願興寺の前進となる施設があったそうです。
平安時代(993年)、一条天皇の皇女(行智尼)が京を追われこの地に辿り着き修行に励んでいました。3年後のある日、一匹の大蛇が現れて周辺の住民に大変な役災をもたらしました。行智尼は薬師如来に祈願したところ、尼ケ池という池から無数の小さな蟹に乗って金色に輝く小さな薬師如来様が現れ大蛇を退治しました。この話を聞いた一条天皇は、勅願によりお寺の名前を願興寺に改め、境内には七堂伽藍(お寺にとって重要な7つのお堂)を建立し天皇勅願寺として篤く庇護しました。以来、寺は大変に繁栄し「蟹薬師」として広く信仰を集めました。
この伝説に登場する尼ケ池は現在も願興寺の近くにあります。
その後、1108年と1572年に兵火により焼失しましたが、その都度再建されています。
現在の本堂は天正9年(1581)に再建されたもので、多くの住民や職人が手掛けた事で「四周一間通り」という天台寺院と真宗寺院の混在したような独特な寺院建築になっているそうです。本堂は柱が48本あることから、俗に「いろは造り」といわれていました。
願興寺の仏像と拝観について
願興寺には24軀の仏像が安置されています。
ご本尊の秘仏薬師如来坐像以外の23軀の仏像は霊宝殿で拝観できます。
大正時代には願興寺の仏像24軀が国宝に指定されていました。歴史のある大変貴重な仏像がこじんまりとした霊宝殿の中に所狭しと並んでおわします。
霊宝殿の拝観は、予約が必要です。(0574-67-0386)
拝観料は1人500円、ただし1人の場合は1000円です。
ご本尊の秘仏薬師如来坐像は
12年に1度、子年の4月7日に御開帳されます。
次回の御開帳は2020年4月7日の予定です。
秘仏 薬師瑠璃光如来坐像
ご本尊の秘仏薬師如来坐像は
12年に1度、子年の4月7日に御開帳されます。
次回の御開帳は2020年4月7日の予定です。
国の重要文化財に指定されています。
鎌倉時代の作とみられ、像高163cm。
平安時代(815年)に、天台宗の開祖である最澄が東国巡錫の折にこの地に立ち寄った際、この地に疫病(えきびょう)がはやり人々が悩んでいるのを哀れみ、桜の古木で最澄が自ら薬師如来像を刻(きざ)み、願興寺の前進となった草庵(そうあん)に安置したのがこの本尊像と伝わっていますが、仏像の様式などから判断をすると、鎌倉時代初頭の作と考えられているのだそうです。
薬師如来とは、心や体の病や苦しみから救うお医者様のような仏様です。病というのは心や体だけではなく、社会全体の病や苦しみも取り除き、平穏をもたらすという大変慈悲深い仏様です。
左手に薬壺(くすりつぼ)を持っているお姿で、お顔も体つきも柔らかくふっくらとしていて、とてもやさしい印象の薬師如来様だとご住職がおっっしゃっておられました。
光背(後ろの丸い板飾り)に天女の様なものがついていて立体的で華やかなのも特徴的です。
日光菩薩・月光菩薩
国の重要文化財に指定されています。
平安時代の作で、像高は共に約200cm。
ご本尊の薬師如来の脇侍で、向かって右に日光菩薩(にっこうぼさつ)、向かって左に月光菩薩(がっこうぼさつ)が安置されています。
日光菩薩・月光菩薩とは、薬師如来の救済を補助する役目をします。日光菩薩は日勤、月光菩薩は夜勤の看護士さんのようなイメージです。
菩薩が手に持っているものが太陽と月になっていて、日光と月光の区別がわかりやすいです。
そして、願興寺の日光菩薩は女性的、月光菩薩は男性的と表現されています。
日光菩薩は、ふくよかなお顔立ちに小さな鼻と口、腰がキュッとくびれていて女性らしいくなやかに腰をひねっています。
月光菩薩は、しっかりとした眉に大きな鼻と口の男性的なお顔付、体も日光菩薩よりも直線的で男性らしさを感じます。
十二神将
■場所 中山道みたけ館(願興寺の隣)
■期間 平成29年10月28日~12月17日
■開催時間 火~金10:00~18:00
土日祝9:00~17:00
■休館日 月・11月21日・11月24日
■観覧料 無料
■問い合わせ 0574-67-7500
国の重要文化財に指定されています。
平安時代の作で、像高は114cm前後。
平安時代に造られたもので、12軀が欠けることなく現存している十二神将は大変珍しく貴重な仏像です。
十二神将とは、薬師如来と信者を守る守護神で、12支それぞれの方角を守っています。
さらに十二神将には、それぞれに7000の眷属神といわれる将兵を引き連れていて、7000の12倍、すなわち8万4000もの大軍で病や苦しみや悪魔(煩悩)から人々を救う役割をしています。
12軀はそれぞれ頭の上に担当する方角の干支のマスコットを乗せています。当時日本に生息していた動物はとっても上手なのですが、羊や辰はとっても愛嬌のある仕上がりです!
その他にも十二神将の見どころはたくさんあり、お顔やポーズがちがうのはもちろんですが、
身に着けている甲冑のデザインは、ウエストに獅噛(しがみ・ベルトを噛んでいる獅子)の有無や、腰のあたりにひらひらがついていたりと12軀それぞれにデザインががいます。
また、乗っている台座にあしらわれている花もそれぞれ違っています。
細かい部分まで、見れば見るほど素晴らしい仏像です。
私は本堂平成の大修理に伴い、中山道みたけ館にて開催されている『十二神将展』で拝観したので、1体ずつをじっくりと見ることができました。
普段は、霊宝殿に安置されていて12体が重なり合うようにギュウっと配置されているので、細かなディテールまでは確認できないかもしれません。
四天王像
国の重要文化財に指定されています。
平安時代~鎌倉時代の作で、寄木造り、像高は242cm前後。
四天王は、須弥山(しゅみせん)という仏様のいる山の中腹で四方を守る守護神です。
多聞天は北方、広目天は西方、持国天は東方、増長天は南方を守護しています。
とても大きくて迫力のある四天王像です。
全体的にボディーが太くどっしりとした印象ですが、私は多聞天像がステキだと思いました。
他の3躯に比べ、ウエストがキュッとしまっていて、腰をひねらせた姿はとても躍動感があり、袖の流れも相まって全体のフォルムがしなやかで美しいです。
さらに注目ポイントが、多聞天に踏みつけられている邪鬼です。
苦しみもがく様子もなく、おとなしく伏せています。その表情もなんとも言えない可愛らしい表情をしています。あばら骨や背骨が出ているのですが手足は結構筋肉がついている、これはかわいい!
増長天像も邪鬼をふんでいますが、こちらはちゃんと苦しんでいる様子でいい踏まれっぷりです。
釈迦三尊像
国の重要文化財に指定されています。
霊宝殿入って右手の壁際に安置されています。
この釈迦三尊像は、仏教美術の中でも至宝と評価される大変美しい仏像です。
中尊 釈迦如来坐像
鎌倉時代の作で、像高76cm、木像、黒漆金箔押造り。
金箔がよく残っています。
説法印(せっぽういん)という手のポーズをしています。この説法印を結ぶ釈迦如来像は全国的にも数が少ないのだそうです。
説法印とは、両手を胸の前に上げ、指はいろいろな形に曲げられ亭ます。お釈迦様が説法をしていることを表しています。
膝裏に「寛元二(1244)年甲辰五月二三日造立之 仏師僧覚俊勧進上人観西 大檀那源康能秦氏 少仏師定仏」との銘があり、この仏像が鎌倉期に造られたもので、地元の有力武将纐纈氏によるものであることが判明しています。
脇侍 普賢菩薩騎象像 文殊菩薩騎獅像
鎌倉時代の作、寄木造り、像高約45cm。
普賢菩薩とは、六牙の象に乗り、あらゆる時、あらゆる場所に現れて教えを説き、慈悲と理知によって人々を救うとても賢い菩薩です。
6本の牙をもつ白い象に乗った姿は、「法華経」に登場する普賢菩薩の姿を現したものなのだとか。
文殊菩薩とは、智慧によって悟りの世界へと導く菩薩です。
右手に剣を持っているのが一般的です。
文殊が智慧の菩薩の菩薩とされるのに対し、普賢は行(ぎょう)の菩薩とされます。
願興寺の普賢菩薩騎象像と文殊菩薩騎獅像は、鳥獣座とよばれる象と獅子の部分にのみに色彩が施されていて、蓮華座と菩薩本体、光背は金色になっています。
普賢菩薩・文殊菩薩ともに兄弟のようにお顔立ちや体格が似ています。
お顔は、繊細な切れ長の目に小ぶりなパーツ、体もほっそりと華奢で、胸飾りのゴージャスさが際立っています。お顔よりも大きな宝冠をかぶられていれ、とっても華やかでゴージャスです。
実際に見ると、こんなに小さなお像だったのかと驚きます。
運慶作 阿弥陀如来坐像
国の重要文化財に指定されています。
鎌倉時代の作で、像高82cm。
運慶の作と伝わる仏像です。
阿弥陀如来とは、人の命が終わるときに勢至菩薩や観音菩薩や楽器を奏でる菩薩や天女と迎えに来て、極楽浄土へと導いてくださる仏様です。
もとは常行堂にお祀りされていた仏像です。
常行堂とは、天台宗の修行で、「南無阿弥陀仏」と唱えながら阿弥陀如来の周りを何日もの間(90日間)休まず歩き続ける修行(常行三昧)を行うお堂です。
この阿弥陀様、写真で見る印象と、本物を目の前に拝むのとでは全く印象が違います。
運慶の作と伝わるだけあって、細く開いた眼には玉眼(ぎょくがん・水晶の目)がはめられていて、その眼差しは本当にこちらを見ているような、なんとも不思議な眼差しでした。
(あー、全て見透かされてるわ。。。というのが素直な感想)
阿弥陀定印と呼ばれる印を結んだ手が、向かって右に少しずれていますね、なぜでしょうか。
阿弥陀如来立像
国の重要文化財に指定されています。
平安時代の作で、一木造り、像高164cm。
一木造りということがストレートに伝わってくるまっすぐな印象の阿弥陀如来立像です。
背後の二重円光(にじゅうえんこう)という種類の光背は、シンプルなデザインで、下の円はぴったりと体と同じサイズになっていて正面からは見えません。
正面から見ると、卵の様な真ん丸なお顔ですが、横顔は鼻筋が通っていてもう少しシュッとしたイケメンでした。
境内の様子
願興寺の境内は、それほど広くありませんが、山門を中心に左右に小さなお堂が並んでいて、その中にも仏像が安置されています。
かつては栄えていたお寺だったのかなと思わせる雰囲気の境内です。
本堂の屋根のてっぺんには天皇家の菊の紋と蟹牡丹の紋が金色に光輝いていました。
菊の紋章は、元々は天台宗の紋章で伝教大師(最澄上人)が桓武天皇(天皇家)に献上したのだそうです。そのため、天台宗の主立った寺院では、菊の紋の使用が認められているのだとか。
国の重要文化財に指定されている本堂。
「いろは作り」という48本の柱を立て、四方に約4mの縁がある「客棧」と呼ばれる珍しい造りになっています。
国の重要文化財に指定されている鐘楼門。
大鐘は直径86.3cmで、東海地方随一の古鐘として珍重されています。
本堂に貼ってあった資料
本堂には、いろいろな資料や記事が張り出されていました。
本堂 平成の大修理
願興寺本堂は、庶民が力を合わせて約430年前に再建し、昭和61年5月24日に国の重要文化財に指定されました。
その本堂は、長年の風雨による影響で痛みが著しく、早急に大規模解体修理をしなければならない事態となっています。
しかしながら、修理には多額の費用がかかるため、資金の工面に難渋しているそうです。
平成29年(2017年)11月より、約9年間にも及ぶ願興寺本堂の全解体修理が始まります。
修理には総事業費13億円がかかると試算されています。
国・県・町からの補助金を受けながらの施工ではありますが、事業主体である願興寺の負担額は1億円ほどなのだそうです。
願興寺の檀家さんは、現在7家だとご住職がおっしゃっておられました。
ご住職自ら、自虐的に「蟹貧乏薬師」だとおっっしゃておられました。(楽しく優しく願興寺について説明してくださる中でのジョーク的な本心)
何が言いたいかとゆうと、願興寺では本堂の大修理の寄付金を募集しています。
詳しくはこちら⇒願興寺平成の大修理へのご喜捨のお願い
参詣して、拝観料や多めのお賽銭を納めるだけでも力になると思いますので、皆さん是非素晴らしい仏像に会いに願興寺へ!!
アクセスについて
【公共交通機関でのアクセス】
■名鉄「御高駅」下車、徒歩2分
【駐車場】
広い駐車場があります。
■駐車料金 無料