- 御朱印
- 三十三間堂の歴史
- 三十三間堂の仏像
- なぜ1001躯もの観音菩薩が?
- 千手観音菩薩とは
- 国宝 十一面千手千眼観世音菩薩坐像
- 千手千眼観音菩薩立像
- 国宝 風神・雷神像
- 国宝 二十八部衆
- 国宝 本堂
- アクセスについて
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御朱印
三十三間堂でいただいた御朱印は『大悲殿』の1種類でした。
御朱印料(値段)は300円です。
いただける場所は、三十三間堂の中央、一番大きな仏像、千手観音坐像の前です。
三十三間堂では、季節限定のオリジナル御朱印帳が授与されているようです。
三十三間堂の歴史
三十三間堂は京都の東山にある天台宗のお寺です。
正式なお寺の名称は『蓮華王院本堂』(れんげおういんほんどう)と言います。
同じく京都の東山にある妙法院の一部なのだそうです。
この地には、後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿がありました。1164年にその広大な敷地の一画に蓮華王院本堂、三十三間堂が建てられました。
江戸時代には、その世界一細長い木造建築の軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」が流行したのだそうです。
三十三間堂の仏像
三十三間堂の仏像は中尊(中央の大きな仏像)の千手観音菩薩坐像を中心に左右に500躯ずつ千手観音菩薩立像が配され全部で1000躯の千手観音菩薩立像がずらりと並びます。
前列には、二十八部衆と両サイドに風神・雷神がおわします。
そして、中尊の背後にも1躯千手観音菩薩立像がおわします。
仏像好きでなくてもそのすごさを知って有名な仏像スポットです。
なぜ1001躯もの観音菩薩が?
末法の到来と数量功徳主義
仏教には末法思想という考え方があります。
末法思想とは、
お釈迦様が亡くなって時が経つにつれて、正しい仏教の教えが廃れてしまい、人々が救われなくなる時代がくるという考え方です。
数量功徳主義とは、簡単に言うとたくさんあればたくさんの功徳(ご利益)がある。という考え方です。
当時、1052年(永承7)平安時代の後半に差し掛かった頃より末法に突入すると信じられていました。
実際にこの頃、都では末法の世を暗示するかのように飢餓や飢饉や疫病が流行し、地獄のようになっていたといいます。
三十三間堂が創建されたのは、そんな救われない時代、末法に突入したばかりのことです。
貴族たちは、死後に極楽浄土へ往生することを願って、この世に極楽浄土を模したお堂やお庭を競うように造りました。
その代表的なお寺が、宇治の平等院鳳凰堂や三十三間堂です。
全ての人のすべての苦しみを救うことに対応してくれる、オールマイティな千手観音菩薩をさらに1001躯も配置することで、末法に突入した暗黒時代でも救われますようにと願ったのでしょうか。
ちなみにこの十一面千手千眼観音菩薩を1001体というのは、日本国内で一番功徳がいただける
フルマックスの功徳が得られるお寺です。
千手観音菩薩とは
正しくは、千手千眼観音菩薩といい、千の手と千の眼を持っています。この「千」は「無限」を意味しています。
千の手のひらのひとつづつに眼があり、その眼と手に持った様々な道具には、すべての苦しむ人を見つけ、様々な苦しみから救うという意味があります。
簡単に言うと、無限の眼と道具でみんなみーんなを救う、一番オールマイティに対応してくださる仏様なのです。
ちなみに、一般的な千手観音菩薩の腕の本数は
メインの腕(真手)2本と脇(脇手)に40本、全部で42本の腕がついています。
真手1本で25世界×脇手40本=1000 の計算なのだとか。
国宝 十一面千手千眼観世音菩薩坐像(中尊)
三十三間堂の長いお堂の中央に坐している千手観音でその他1001躯の千手観音のドンです。その大きさ(334.8cm)にも素直に圧倒されますが、豪華絢爛で荘厳な天蓋にも圧倒されます。
作者は大仏師法印湛慶(運慶の息子)で鎌倉時代の作です。
歴史に疎い私は、こういった極楽浄土をリアルに表した雰囲気のものはすぐに平安時代のものかと思ってしまいますが、鎌倉時代の作なんですね。
こちらの千手観音様はライティングもばっちりにしてありますので、その細部までしっかりとみることができます。大きいので持物(じもつ もってるもの)も確認できます。
千手千眼観音菩薩立像
(重要文化財)
中尊の左右に各500躯と、中尊の背面の1躯の1001躯の千手観音。
こちらは、『それぞれお顔が違って~会いたい人の顔に会える』などと皆様いわれますが、当たり前です。すべて平安・鎌倉・室町時代の仏師によって一つ一つ彫られたものなのですから。コピペなんて無理です。火災で焼失しているので、作者が違い時代の違うものもあるので、お顔やフォルムが違うのは当然です。
私の勝手な感じ方ですが、この1000躯(本尊背面の1躯を除く)は1000躯一度み見られるからこそ意味があるのだ!と。像高166~167cmの私たちの大きさに近いサイズの仏様が1000躯整列している。この空間にいると、仏様の瓔珞(垂飾)や錫杖からシャンシャンシャン、、、、それぞれの仏様が唱えるお経がナムナムナム、、、と聞こえてきて、私たち人間が仏の世界に立ち入ってしまったかのような気持ちになる、昔の時代の4D映画館なのだ!と。(個人の感想です。悪しからず)
1躯ずつのお顔をじっくり見るのもよいですが、圧倒的数のパワーも感じてみてください。
国宝 風神・雷神像
お堂に入るとまず一番初めにおわすのが雷神様です。そして最後におわすのが風神様です。どちらもお出迎え・お見送りというよりは、尊い仏様達を守るために威嚇しまくっているといった感じです。
天部・明王好きの私としてはこの風神雷神二十八部衆がずらり!しかも国宝というのはもぉたまりません!
この風神雷神は俵屋宗達の『風神雷神図屏風』(有名な金屏風)のモデルとなったと言われているそうで、これ以前はこんなにキャッチーなデザインではなかったそうです。今となっては風神雷神といったらこれしかイメージできないですけどね。そんなデザインすごいです!
御尊顔をよく見ると、けっこうコミカルで変な鼻とかしてます。やはりこういった憤怒相(怒ってるみたいな表情)の仏像は目線を合わせにいくのがいいです。ここだ!というところにかがんでじーっと仏像と向き合うと、仏像の伝えたいことがわかったような気になります。
国宝 二十八部衆
ずらりと並ぶ二十八部衆も国宝です。こちらの二十八部衆は仏像ごとに仏像の名前と由来を書いた札が置いてあるのですが、一般的な仏像の呼び名と違うものが多いので、持ち物などを見て『これは持国天だな!』とかするのが面白いです。サンスクリット語の語源なども詳しく書いてあるので楽しく知識を増やせます。
覚えきれないと思いますので書いてみます。
東方天像(とうほうてん)⇒持国天像
毘楼博叉(びるばくしゃ)像⇒広目天像
密遮金剛(みっしゃこんごう)像⇒仁王吽形
那羅延堅固(ならえんけんご)像⇒仁王阿形
そして、こちらの阿修羅像は興福寺の阿修羅像とは違い憤怒のお顔です。この憤怒のお顔の阿修羅がスタンダードで、興福寺の阿修羅像が異形です。よく見ると、三面(お顔3つ)六臂(腕6本)でファッションなんかも同じです。修羅ってかんじです。
前列(風神雷神、二十八部衆)の躍動感に対して、後ろの1000躯の静けさのコントラストがたまりません。前列の躍動感が増すほど、千手観音様の品が増すというかなんというか。。。
国宝 本堂
横に長いお堂は柱と柱の間が33こあるから三十三間堂といいます。正面からみた柱の数は35本になります。
南北に120m、奥行22mの世界一細長い木造建築です。
三十三間堂の内部は創建当初は鮮やかな極彩色でした。『丹塗り』というのだそうです。その模様の一部の跡がお堂内部に残っていて見られる場所があります。ツアーガイドの方などが説明していると思いますので、こっそり一緒に聞いてみるとよいです。スポットを知らないとひたすら天井を見ていても全然探せません。
通し矢
桃山時代から江戸時代にはこの三十三間ある長いお堂の軒下で矢を射続ける競技が流行っていたそうです。
軒があるので上に高く弧を描けないのに、的までの距離は118.2mもあるというとってもテクニックのいる競技です。
通し矢でお堂の柱が傷ついて痛まないように鉄でプロテクトしてあります。お堂の裏手で見られます。
アクセスについて
拝観所要時間は30分~1時間といったところでしょうが、混雑具合にもよると思います。
物販コーナーも充実していますので時間を取られる方もいるかもしれません。
【公共交通機関でのアクセス】
■『京都駅』より 市バス100・206・208系統
⇒「博物館三十三間堂前」下車スグ
【駐車場】
駐車場があります。
収容台数 50台
駐車料金 無料
■霊場
洛陽三十三観音霊場 第十七番札所
■拝観受付時間
4月1日~11月15日
8:00~16:30
11月16日~3月31日
9:00~15:30
■拝観料
一般 600円